官設鉄道B6形蒸気機関車


概要

 官設鉄道B6形蒸気機関車は、逓信省鉄道作業局時代の明治31年(1897年)11月14日から鉄道院時代の明治42年(1909年)9月30日まで存在した官設鉄道のタンク式蒸気機関車です。動輪直径1250ミリメートルでC1形の軸配置を持つタンク式の蒸気機関車でした。
 それ以前の逓信省鉄道局時代にはAC形蒸気機関車とされていて、明治31年当初は東海道線の全通に向けて明治22年(1889年)から製造されたイギリス、ダブス社製の17両(のちの鉄道院2100形蒸気機関車)と明治31年(1898年)に製造されたダブス製の18両(のちの鉄道院2120形蒸気機関車)程度(明治31年に輸入された18両のうち、11月14日以降に輸入された両数は不明)がB6形とされ、明治32年(1899年)に神戸工場製の6両などを含めて合計42両となりました。
 さらに明治37年(1904年)から始まった日露戦争では、満州で使用するため旧日本陸軍によって同形の機関車が大量に発注されました。発注先は、イギリスのダブス社、シャープスチュワート社、ノースブリティッシュ社、ドイツのベルリナー社、ハノーファー社、ヘンシェル社、アメリカのボールドウィン社となっていました。発注数は合計数百両に及びましたが日露戦争が早期に集結したため、結局使われなかったものも含めて明治39年(1906年)から明治41年(1908年)ごろにかけて続々と内地に送り返されて官設鉄道に移管されることになりました。官設鉄道に移管されたものはB6形に編入されましたし、さらに、日本鉄道などが輸入した類似形態の車両も国有化に伴ってB6形に編入されたため、最終的に528両にも達する形式となりました。これは、明治末期における官設鉄道の機関車総数の約4分の1を占める両数であり、言うまでもなく明治時代後期における我が国鉄道の主力形式の一つでした。

 逓信省鉄道作業局は、明治41年(1908年)に内閣鉄道院(いわゆる鉄道院)に改編されます。鉄道院は明治39年(1906年)から進んでいた主要私鉄の国有化に伴って各社の雑多な形式を引き継いでいた機関車の形式を整理するために明治42年(1909年)に車両称号規程を定めます。これによって、B6形に属していた機関車群は、その製造国によって形式が分けられ、イギリス製の古いタイプが官設鉄道2100形蒸気機関車、イギリスと日本製のものが官設鉄道2120形蒸気機関車、ドイツ製のものが官設鉄道2400形蒸気機関車、アメリカ製のものが官設鉄道2500形蒸気機関車の4形式となり、全車両が新しい番号に改番されました。また、これらの形式の機関車は、昭和期になっても「ビーロク」という愛称で呼ばれることがありましたが、なぜ「ビーロク」?という疑問を持った人もいたでしょう。「ビーロク」はこの鉄道作業局時代の「B6(ビーロク)形」という形式名に由来するものでした。「ビーロク」は昭和30年代まで全国各地で見ることができました。

主要諸元

  • 重量:51.23トン(運転時)、38.19トン(空車時)
  • 動輪直径:1250ミリメートル
  • 軸配置:C1形
  • 軸重:第1動輪13.83トン、第2動輪14.21トン、第3動輪13.74
  • トン、従輪9.45トン
  • 水タンク容量:7.8キロリットル(両側タンク各2.2キロリットル、後部3.4キロリットル)
  • 石炭積載量:1.9トン(後部水タンクの上に積載)
  • 出力:424馬力~445馬力
  • 牽引重量:時速32.2kmの時、10‰勾配で315トン、25‰勾配で155トン


官設鉄道(鉄道作業局)B6形蒸気機関車。(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P.30より)

車両一覧

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参考文献
  • 今村 潔(1967):B6形機関車の車歴と配置,鉄道ピクトリアル,No.195,1967年4月,PP.31-35,鉄道図書刊行会.
  • 臼井茂信(1956):国鉄蒸気機関車小史,鉄道図書刊行会,PP.47-50.
  • 沖田祐作(2013):機関車表.
  • 金田茂裕(1967):B6に関するノート,鉄道ピクトリアル,No.195,1967年4月,PP.19-30,鉄道図書刊行会.
  • 日本国有鉄道工作局(1952):国鉄80年記念写真集 車両の80年,交通博物館,P.30.