官設鉄道2120形蒸気機関車は、鉄道院時代の明治42年(1909年)10月1日から日本国有鉄道時代まで官設鉄道に存在したタンク式蒸気機関車です。動輪直径1250ミリメートルでC1形の軸配置を持つイギリス製と日本国産の蒸気機関車でした。製造された期間は明治31年(1898年)から明治38年(1905年)までにわたっており、イギリス製としてはDubs(ダブス)社、それにDubs社が合併して誕生したNorth British(ノースブリティッシュ)社製の車両が含まれます。また、国産のものとしては官設鉄道の神戸工場で製造された10両が含まれています。総勢は258両です。
本形式が誕生した明治42年10月1日までは、逓信省鉄道作業局時代のB6形蒸気機関車という形式の機関車の一部でした。B6形蒸気機関車はドイツ製やアメリカ製の機関車も含めて528両の大所帯でしたので、明治42年に鉄道院が実施した改番の際にイギリス製と国産だったグループを本形式としたものでした。なお、B6形蒸気機関車のうちドイツ製のグループは官設鉄道2400形蒸気機関車、アメリカ製のグループは官設鉄道2500形蒸気機関車とされています。
もともとは、明治37年(1904年)から始まった日露戦争で旧日本陸軍が満州で使用するために発注された機関車が大部分を占めていますが、日露戦争が早期に集結したため結局使われなかったものも含めて明治39年(1906年)から明治41年(1908年)ごろにかけて官設鉄道に移管されて官設鉄道B6形蒸気機関車に編入されていました。
また、これとは別に同形の機関車を日本鉄道が12両、北海道鉄道が10両輸入しており、それぞれの国有化によって官設鉄道籍となっていました。
附番は、まず国産のものから若い番号が振られ、神戸工場製の10両が2120号~2129号、次いでイギリスのダブス社製だった41両が2130号~2170号、さらにNorth British社製の195両が2171号~2365号、元日本鉄道の12両(North British社製)が2366号~2377号、元北海道鉄道の10両(North British社製)が2378号~2387号となっていました。
配置区は両数が多いことと、「貨物、こう配、入換など広範囲な用途に愛用され」(臼井,1956)たことから全国に渡っています。戦後になってボイラーを利用して29両がマヌ34形暖房車に改造されたり、C1形の軸配置では動輪のフランジでレールを痛めやすかったこと(臼井,1956)から2両が軸配置1C1形の2900形蒸気機関車に改造されたほか、老朽廃車も出て急速に数を減らし始め、昭和30年(1955年)時点で111両(工場配置分を含む)、昭和32年(1957年)に55両(工場配置分を含む)となり、昭和38年(1963年)までに全廃となりました。
官設鉄道2120形蒸気機関車。(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P.30より)
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