官設鉄道18号改形蒸気機関車


概要

 官設鉄道18号改形機関車は、明治6年(1873年)ごろにイギリスのKitson(キットソン)社で4両が製造されたテンダ式の機関車のうちの2両で、当時の官設鉄道によって輸入されました。輸入当初は18号と20号機関車と附番されて3年ほどの間、西部地区の貨物列車牽引や新線建設用の資材列車牽引などに使われました。この時点の機関車としてのスペックは14号形蒸気機関車(明治8年改番後)と同じC形機でしたが、西部地区の鉄道路線が大阪から向日町、京都への延伸開業が近くなってきた明治9年(1876年)に旅客用のB形機に大改造を受けることになります。

 輸入当初の軸配置は先述のとおり「C形」。すなわち、先輪や従輪を持たず、動輪のみ3軸を有する軸配置です。動輪の大きさは1092ミリメートルとタンク式の6号機関車(2代目)よりもずいぶん小さいうえ、それまでに輸入されたどの蒸気機関車よりも小さい動輪サイズで、スピードよりも牽引力を重視した貨物用の機関車として当初から計画されていたことがうかがえます。炭水車の車輪直径は914ミリメートルでした。また、燃料となる石炭積載量は1.52トンで、旅客用テンダ式機関車の2号機関車(2代目)と同じ。水タンク容量は9.99キロリットルと、当時の蒸気機関車としては非常に大きい積載量となっていました。
 明治8年(1875年)から明治9年(1876年)にかけて、本機と20号機の2両がイギリス人技師の指導の下、官設鉄道の神戸工場で大改造を施されます。旅客用機関車が不足していたのか、貨物列車の牽引に適した「C形」の機関車であったものを、旅客列車の牽引に適した「2B形」の機関車に変更してしまうといものでした。
 ボイラやシリンダーといった蒸気に関連する部分はそのまま使えますが、動輪などの走り装置は、総取り換えになります。部品などはイギリスから、おそらく明治9年に輸入された軸配置2B形の42号形蒸気機関車と同等のものを輸入し(実際、動輪の大きさなどは42号形機関車と同じでした)、改造が実施されたものと思われますが、創業からわずか3~4年の官設鉄道でこのような大規模な改造を実施したことは驚くべきことだと言えるでしょう。
 改造後の軸配置は「2B形」。すなわち、2軸ボギー式の先輪が1組あって、その後ろに動輪が2軸配置された形態です。動輪の大きさは直径1397ミリメートルと大きくなり、先輪の大きさは直径838ミリメートル、機関車重量は0.22トンほど軽くなって26.4トン(最大軸重8.6トン)となりました。炭水車は改造前のものが使われましたので、石炭積載量1.52トン、水タンク容量9.99トンは変更ありません。

 なお、明治9年ごろは「車両形式」という概念が無かったようですので、これだけの大改造を施されましたが、機関車の番号は元の18号と20号のままで変更はされませんでした。ここでは便宜的に「18号改形蒸気機関車」としています。

 明治27年(1894年)に官設鉄道の機関車を形式で区分するようになった際に、N形という形式が与えられて、それぞれN形18号と20号機関車となりました。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • 18号(改造)→N形18号→D2形18号→5100形5100号→相模鉄道101号→廃車
  • 20号(改造)→N形20号→D2形20号→5100形5101号→相模鉄道100号→加悦鉄道1号→廃車

参考文献
  • いのうえ・こーいち(2014):図説国鉄蒸気機関車全史,2014年,JTBパブリッシング.
  • 臼井茂信(1956):国鉄蒸気機関車小史,鉄道図書刊行会,P.80、P.98.
  • 沖田祐作(2013):機関車表.