官設鉄道42号形機関車は、明治9年(1876年)にイギリスのKitson(キットソン)社で製造されて官設鉄道(当時は工部省鉄道寮)が輸入したテンダ式蒸気機関車です。旅客列車牽引用として同形の機関車が合計6両西部地区に輸入されて官設鉄道の42号から52号機関車(偶数番号のみ)となりました。この当時は車両形式という概念が無かったため、便宜上「42号形機関車」としています。のちの鉄道院5130形蒸気機関車にあたります。
本機が輸入された明治9年には西部地区で向日町駅-大阪駅間が延伸開業し、そして翌明治10年(1877年)にはついに京都駅に到達して京都駅-神戸駅間が本格開業することになります。おそらくそれに備えて増備されたものと思われます。
軸配置は「2B形」で、2軸ボギー式の先輪が1組あって、その後ろに2つの動輪が配置された形態でした。動輪の大きさは直径1397ミリメートル、石炭積載量1.52トン、水タンク容量5.43キロリットルと、明治6年(1873年)に西部地区の鉄道建設用に輸入された同じKitson社製の18号形蒸気機関車から大改造された2B形機(のちの鉄道院5100形蒸気機関車)とほぼ同じサイズと性能でした。
この「2B形」のテンダ式機関車は、明治時代の旅客列車牽引用機関車の標準的な形態となります。これ以降、「2B形」のテンダ式機関車が続々と輸入されるようになり、東海道線や北陸線の延伸に伴って活躍範囲を広げていくことになります。
明治27年(1894年)に官設鉄道の機関車を形式で区分するようになった際に、P形という形式が与えられて、42号~52号機関車(偶数番号のみ)が順にP形33号~38号機関車となりました。
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