官設鉄道6号形蒸気機関車(2代目)は、明治6年(1873年)ごろにイギリスのRobert Stephenson(ロバート・スチブンソン)社で4両が製造されたタンク式の機関車です。当時の官設鉄道である工部省鉄道寮によって輸入されました。
輸入後は、4両とも西部地区(神戸)に配置され、13号から16号機関車として京都ー神戸間の鉄道建設のために使われていましたが、明治8年(1875年)に官設鉄道の機関車全体を東部地区所属機を奇数番号、西部地区所属機を偶数番号に変更する改番が実施され、13号~16号機関車が順に6号、8号、10号、12号機関車に改番されました。明治8年当時は車両形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「官設鉄道6号形蒸気機関車(2代目)」としています。のちの鉄道院120形蒸気機関車にあたる機関車です。
軸配置はいわゆる「1B型」で、いちばん前に先輪が1軸あり、それに続いて動輪が2軸配置された形態で、明治5年の東部地区鉄道開業時に揃えられた10両のタンク式機関車と同じ軸配置です。先輪の大きさは直径877ミリメートル、動輪の大きさは直径1346ミリメートルで、この動輪のサイズは東部地区に輸入された官設鉄道13号形機関車(2代目)(のちの鉄道院160形蒸気機関車)と同じです。燃料となる石炭積載量は0.85トン、水タンクの容量は両側に設けられたサイドタンクの合計で2.3キロリットルと、こちらも13号形機関車(2代目)とほぼ同じとなっていました。
その後、明治16年(1883年)ごろに4両とも東部地区に送られたのち、明治27年(1894年)に官設鉄道の機関車を形式で区分するようになった際にF形という形式が与えられて、F形6号、8号、10号、12号機関車に改番されました。
国鉄80年記念写真集、車両の80年 P4より