官設鉄道14号形機関車は、明治6年(1873年)ごろにイギリスのKitson(キットソン)社で4両が製造されたテンダ式の機関車で、当時の官設鉄道によって輸入されました。輸入当初は17号から20号機関車と附番されて2年ほど使われましたが、明治8年(1875年)に東部地区も含めた官設鉄道全体での改番が実施されて東部地区の機関車は奇数番号に、西部地区の機関車を偶数番号に変更することになり、17号が14号、19号が16号に改番されました。18号と20号は改番は実施されなかったことからまとめると、17号、18号、19号、20号がそれぞれ14号、18号、16号、20号とされたことになります。なお、明治8年当時は形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜上「14号形蒸気機関車」としています。このうち2両はのちに大改造されて全く別のタイプの機関車になってしまうのですが(この2両に関しては、18号形蒸気機関車のページを参照してください)、のちの鉄道院7010形にあたる機関車です。
輸入後は鉄道建設中の西部地区に配置されましたが、同時期に輸入された軸配置1B形タンク式の6号機関車(2代目)が主に鉄道建設用に使われていたのとは異なり、本形式は軸配置C形テンダ式の機関車でしたので西部地区の大阪-神戸間開業以降は本線の貨物列車運転用として使われました。
軸配置は「C形」。すなわち、先輪や従輪を持たず、動輪のみ3軸を有する軸配置です。動輪の大きさは1092ミリメートルと6号形機関車(2代目)よりもずいぶん小さいうえ、それまでに輸入されたどの蒸気機関車よりも小さい動輪サイズで、スピードよりも牽引力を重視した貨物用の機関車として当初から計画されていたことがうかがえます。炭水車の車輪直径は914ミリメートルでした。また、燃料となる石炭積載量は1.52トンで、旅客用テンダ機の2号形機関車(2代目)と同じ。水タンク容量は9.99キロリットルと、当時の蒸気機関車としては非常に大きい積載量となっていました。
明治8年(1875年)から明治9年(1876年)にかけて、18号と20号の2両が神戸工場で「2B形」の軸配置を持った旅客用機関車に改造されました。そのため、最終的に14号形の機関車は2両となりました。
残った2両は、明治27年(1894年)に官設鉄道の機関車を形式で区分するようになった際に、U形という形式が与えられて、それぞれU形14号と16号機関車となりました。