国鉄モハ90501に関するデータ

車歴

■昭和32年(1957年) 6月25日
 近畿車両にてモハ90形制御電動車(Mc)として新製され、国鉄モハ90501となりました。車体はオレンジバーミリオンに塗装されており、三鷹電車区に配置されて[]-[モハ90000]の2両でMcM’ユニットを組んでいました。
■昭和32年(1957年)11月 1日
 三鷹電車区に在籍していました。
■昭和34年(1959年) 4月 1日
 三鷹電車区に在籍していました。
■昭和34年(1959年) 6月 1日
 車両称号規程の改正に伴って、形式をクモハ101形電車に変更され、当車両は試作車であったことから900番代の車番を与えられて国鉄クモハ101-901となりました。[]-[モハ100-901]でMcM’ユニットを組んでいました。
■昭和37年(1962年) 4月 1日
 三鷹電車区に在籍。
■昭和37年(1962年) 5月 1日
 国鉄大井工場にて電気機器と引き通し線の仕様を量産車の仕様に合わせる改造(量産化改造)を施されました。これにより、量産車との混結運用ができるようになりました。
■昭和42年(1967年) 3月31日
 三鷹電車区に在籍。
■昭和43年(1968年) 3月31日
 三鷹電車区に在籍。
■昭和44年(1969年) 4月 8日
 三鷹電車区から豊田電車区に移動しました。引き続き、中央線快速電車で運用されたとみられます。
■昭和45年(1970年) 3月31日
 豊田電車区に在籍。
■昭和45年(1970年) 8月25日
 国鉄大井工場にて屋根の整備が行われ、通風機がグローブ形の直列配置に変更され、車体に雨樋が外付けされました。
■昭和46年(1971年) 3月31日
 豊田電車区に在籍。
■昭和47年(1972年) 3月31日
 豊田電車区に在籍。
■昭和47年(1972年) 9月28日
 車体塗色を中央線快速用のオレンジバーミリオンから南武線用のカナリア色(黄色)に変更。
■昭和47年(1972年) 9月29日
 豊田電車区から中原電車区に移動し、南武線に転用されました。
■昭和49年(1974年) 3月31日
 中原電車区に在籍。
■昭和50年(1975年) 3月31日
 中原電車区に在籍。
■昭和51年(1976年) 3月31日
 中原電車区に在籍。
■昭和52年(1977年) 3月31日
 中原電車区に在籍。
■昭和53年(1978年) 3月31日
 中原電車区に在籍。
[]-[モハ100-901]-[モハ101-901]-[クモハ100-901]の4両編成。
■昭和54年(1979年) 5月23日
 老朽のため車齢21年余で廃車。最終配置は中原電車区でした。

車両の形態

 新製時は雨樋が車体に埋め込まれた張り上げ屋根で通風機は押し込み形の千鳥配置、窓枠はモハ72形に似たタイプの2段上昇式でした。台車形式DT21、主電動機MT46形。昭和45年の屋根整備の際に通風機はグローブ形の直列配置、雨樋が外付け式に改造されました。

運行に関する情報

 昭和32年6月25日に[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の4両編成により西明石-高槻間で試運転を実施。
 昭和32年6月26日に[クハ79]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ73]-[クハ79]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の10両編成(ただしモハ90形4両は無動力回送)で三鷹電車区まで自力回送されました。鉄道ピクトリアル No.73の53ページに写真付きでこの時の様子がレポートされています。

 昭和32年12月16日から中央線快速で営業運転に入りましたが、この時は落成時と編成が変わっており、東京方から[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の8両編成となっていました。
 10両編成での運転となったのは昭和33年 1月16日からで、東京方から[モハ90503]-[モハ90500]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の10両編成でした。

参考文献

  • 101系通勤型電車,ジェー・アール・アール.
  • 鉄道ピクトリアル:No.73、No.96、No.487,鉄道図書刊行会.