日本国有鉄道(国鉄)クモハ101形電車は、昭和32年(1957年)から昭和41年(1966年)の間に212両が製造された全長20メートル級4扉ロングシートの通勤用全鋼製電車です。昭和32年の製造当初はモハ90形電車の500番代(奇数番号)を名乗っていましが、昭和34年(1959年)6月1日にクモハ101形に改称されました。いわゆる「101系電車」と呼ばれる系列の形式の一つです。
101形電車は、それまで国鉄で使われていた電車とは全く異なる設計思想の下で量産された電車で、それ以降に登場した電車を「新性能電車」と呼ぶきっかけとなった系列です。
なにが新性能だったかというと、動台車におけるモーター(主電動機)の架設方法がそれまでの「吊掛駆動方式」とは異なる「中空軸平行カルダン駆動方式」であったということ、それまでの電車の電動車は1両の車両に駆動や制御に必要な機器をすべて搭載していたのに対し、101系電車では2両の電動車を1ユニット(MM’方式)として、駆動や制御に必要な機器を2両に分散して搭載したこと、従来の電車よりも加速減速性能を向上させていること、などが挙げられます。本形式は運転台付きのMc車にあたる車両です。
しかし、利用する乗客らにとってより印象的だったのは、それらの性能面ではなく、むしろオレンジバーミリオンと言われる中央線快速電車に採用された明るい塗装にあったように思われます。オレンジと緑の湘南電車に次ぐ明るい色の電車で、それまで通勤電車といえば茶色が当たり前だった中にあって、新しい電車だというイメージを強く印象付ける車両となりました。
モーターが台車枠と車軸にまたがるように架設されていた吊掛式のころは、加速時に「ブーン」という大きな動作音がしていましたが、車軸から切り離されてモーターが架設される中空軸平行カルダン駆動方式の本形式では、加速時の動作音が「ウィーン」という軽快な動作音に変わったのが特徴的でした。車内は全幅1.3メートルの両開き扉が採用された4扉ロングシートとなり、混雑時の乗降時間の短縮を図っていました。
本形式は、2両1ユニットの電動車ユニットのうちMc車にあたり、運転台、主抵抗器と主制御器、遮断機(いわゆるブレーカー)を搭載したほか、モハ73形電車と比べて自重が約9トンも軽量化されていました。パンタグラフと冷房装置は搭載していません。主電動機(モーター)はMT46A形直流直巻分路界磁制御方式出力100kWを4基搭載(昭和32年に製造された試作車2両はMT46形)しました。電動車ユニットの組成相手はM’c車(クモハ100形)、M’車(モハ100形)のいずれかです。
まず昭和32年にモハ90形の試作車10両編成1本のうちの2両として製造され、全電動車の10両編編成(McM’MMc’McM’MM’MMc’)で各種試験が実施されました。そして昭和33年(1958年)からつくりを簡略化する方向に少し設計を変更した量産車の製造が始まり、三鷹電車区に集中配置されて中央線快速電車で運用されました。
昭和34年にモハ90形からクモハ101形に形式が変わった際に、試作車2両は900番代とされて、量産車のモハ90511以降がクモハ101-1から附番されることになりました。また、昭和35年(1960年)には回生ブレーキを試験的に搭載した910番代の車両が1両製造されていますが、この車両は昭和39年(1964年)に電装解除されてクハ101形910番代に編入されました。。
昭和47年(1972年)からは新たに開業する武蔵野線に転用するために、0番代から15両が地下鉄対応の難燃化工事を施した1000番代に改造されています。
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車号 | 製造年 | 処置 |
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クモハ101-1 | 1958 | |
クモハ101-2 | 1958 | |
クモハ101-3 | 1958 | |
クモハ101-4 | 1958 | |
クモハ101-5 | 1958 | |
クモハ101-6 | 1958 | |
クモハ101-7 | 1958 | |
クモハ101-8 | 1958 | |
クモハ101-9 | 1958 | |
クモハ101-41 | 1959 | |
クモハ101-43 | 1959 | |
クモハ101-44 | 1959 | |
クモハ101-45 | 1959 | |
クモハ101-55 | 1959 | |
クモハ101-64 | 1959 | |
クモハ101-67 | 1959 | |
クモハ101-75 | 1959 | |
クモハ101-76 | 1959 | |
クモハ101-901 | 1957 | 1979年廃車 |
クモハ101-902 | 1957 |