新製時は雨樋が車体に埋め込まれた張り上げ屋根で通風機は押し込み形の千鳥配置、窓枠はモハ72形に似たタイプの2段上昇式でした。台車形式DT21、主電動機MT46形。昭和45年の屋根整備の際に通風機はグローブ形の直列配置、雨樋が外付け式に改造されました。
昭和32年6月25日に[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の4両編成により西明石-高槻間で試運転を実施。
昭和32年6月26日に[クハ79]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ73]-[クハ79]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の10両編成(ただしモハ90形4両は無動力回送)で三鷹電車区まで自力回送されました。鉄道ピクトリアル No.73の53ページに写真付きでこの時の様子がレポートされています。
昭和32年12月16日から中央線快速で営業運転に入りましたが、この時は落成時と編成が変わっており、東京方から[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の8両編成となっていました。
10両編成での運転となったのは昭和33年 1月16日からで、東京方から[モハ90503]-[モハ90500]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の10両編成でした。