青梅電気鉄道モハ1000形電車は、両運転台の木造車体を持った青梅電気鉄道モハ1形電車の車体を半鋼製車体に鋼体化改造した電車です。鋼体化改造完成時にモハ1000形に変更されました。総勢3両。青梅電気鉄道は、現在のJR青梅線の前身にあたる会社で、昭和19年(1944年)に国有化されて国鉄青梅線となりました。
鋼体化改造のタネ車となったモハ1形電車は、青梅電気鉄道が大正12年(1923年)4月に木造客車に電動機やパンタグラフなどの電気装備を架設して電車化改造して誕生した電車です。3両が改造されました。
当初はデハ1形という形式でしたが、昭和8年(1933年)4月に青梅電気鉄道の電動車の形式称号が「デハ」から「モハ」に変更されたことに伴ってモハ1形となったものです。
3扉両運転台の制御電動車で出力65キロワットの電動機を搭載していましたが、デハ1形の時代に連結器を自動連結器に変更され、運転台回りをそれまでのポールによって区画されていただけの構造から、壁によって客室と分離した運転室を設けた構造に改造されています。モハ1形になってからすぐの昭和8年 6月には座席を14人分撤去して立席部分を増やす改造を施されて定員が1名増えています(座席52人+立席48人の合計100人から座席38人+立席63人の合計101人に)。
モハ1形に施された鋼体化改造は、昭和14年(1939年) 8月24日に認可されて、3両とも車体に厚さ2ミリの鉄板を張り、柱も鋼製のものに交換したり、表面を鋼板で覆う改造が施され、車体表面に多数のリベットが並ぶ外観となりました。この鋼体化工事の完了とともに形式を青梅電気鉄道モハ1000形に変更され、モハ1001~1003となっています。
モハ1000形3両は、青梅電気鉄道での戦時輸送などにも活躍していましたが、昭和19年(1944年)4月、青梅電気鉄道は戦時買収で接続する奥多摩電気鉄道や南武鉄道とともに国有化されます。それに伴って本形式の3両も買収国電として官設鉄道(当時は運輸通信省鉄道総局)籍となり、官設鉄道モハ1000形となりました。