国鉄クモハ100-901に関するデータ

車歴

■昭和32年(1957年) 6月25日
 川崎車輌にてモハ90形制御電動車(M’c)として新製され、国鉄モハ90500となりました。三鷹電車区に配置されて[モハ90003]-[]の2両でMM’cユニットを組んでいました。
■昭和32年(1957年)11月 1日
 三鷹電車区に在籍していました。
■昭和34年(1959年) 4月 1日
 三鷹電車区に在籍していました。
■昭和34年(1959年) 6月 1日
 車両称号規程の改正に伴って、形式をクモハ100形電車に変更され、当車両は試作車であったことから900番代の車番を与えられて国鉄クモハ100-901となりました。[クモハ101-902]-[]でMcM’cユニットを組んでいました。

運行に関する情報

 昭和32年6月25日に[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の4両編成により西明石-高槻間で試運転を実施。
 昭和32年6月26日に[クハ79]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ72]-[モハ73]-[クハ79]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90003]-[モハ90500]の10両編成(ただしモハ90形4両は無動力回送)で三鷹電車区まで自力回送されました。鉄道ピクトリアル No.73の53ページに写真付きでこの時の様子がレポートされています。

 昭和32年12月16日から中央線快速で営業運転に入りましたが、この時は落成時と編成が変わっており、東京方から[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の8両編成となっていました。
 10両編成での運転となったのは昭和33年 1月16日からで、東京方から[モハ90503]-[モハ90500]-[モハ90501]-[モハ90000]-[モハ90001]-[モハ90002]-[モハ90003]-[モハ90004]-[モハ90005]-[モハ90502]の10両編成でした。

参考文献

  • 101系通勤型電車,ジェー・アール・アール.
  • 鉄道ピクトリアル:No.73、No.96、No.487,鉄道図書刊行会.