鉄道省サロハ66形電車は、昭和10年(1935年)から昭和12年(1937年)の間に鉄道省によって20両が改造及び製造された車体長20メートル級の便所付き2・3等合造車です。昭和10年から昭和12年にかけて横須賀線で使用されれていた便所の無い2・3等合造車だったサロハ46形13両を対象として大井工場で便所を取り付ける改造を施した車両を順次本形式に編入していきました。このうち、昭和6年に製造されたサロハ46形を種車とする10両(66001~66010)は魚腹型台枠UF20を持ち、車体も多数のリベットを用いた外観を有していました。一方、昭和7年に製造されたサロハ46形を種車とする3両(66011~66013)は溝型台枠UF24が使われ、車体も電気溶接が採用されたためリベットの数が少ないという外見上の違いが存在しました。
さらに昭和12年3月には横須賀線用の全室二等車だったサロ45形2両の半室を3等車に変更して本形式に改造編入(66014・66015)されました。また、川崎車輌で新たに4両が新製増備(66016~66019)され、東海道線の大阪地区に投入されました。これと時を同じくして、東海道線の大阪地区用に投入されていたサロハ46形1両(46018)にも便所が取り付けられて本形式(66020)とされています。総勢20両ですが、横須賀線に15両、東海道線大阪地区に5両という配置となっていました。
横須賀線で使われていた15両は、昭和19年(1944年)から昭和20年(1945年)にかけて戦時改造の対象となり、全車が4扉ロングシートの全室三等車化されてサハ78形となりました。大阪地区で使われていた5両は、昭和18年(1943年)3両が2扉クロスシートの全室三等車に格下げされてサハ48形に編入されましたが、終戦時点で本形式は2両(66018・66019)のみとなっていました。この2両は戦後の昭和27年(1952年)に70系電車が大阪地区に投入され始めたことに伴って、全室三等車としたうえ片側に運転台を取り付けてクハ47形となって身延線に転用され、形式消滅しました。
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