幌内鉄道7号形蒸気機関車は、明治20年(1887年)にアメリカのBaldwin(ボールドウィン)社で2両が製造され、官設幌内鉄道が輸入したテンダ式の蒸気機関車です。それまでに6両が導入されていた幌内鉄道1号形蒸気機関車より少し大きい機関車で、輸入後は幌内鉄道7号、8号機関車となりました。当時は車両形式という概念がなかったようですので、ここでは便宜的に「幌内鉄道7号形蒸気機関車」としています。のちの鉄道院7170形蒸気機関車にあたります。
1号形蒸気機関車には各車両に「義経号」「弁慶号」などの日本語名の愛称が付けられていましたが、明治20年ごろには幌内鉄道の営業は民間に委託されていて、委託先の会社の社長の名前を取って「第1村田号」「第2村田号」と呼ばれていたそうです。
軸配置は1C型。すなわち、最初に従輪が1つあり、その後に3つの動輪を有する形態です。主要な諸元は、先輪の大きさは直径660ミリメートル、動輪の大きさは直径1016ミリメートル、石炭積載量1.88トン、水タンク容量4.22キロリットルでした。
明治22年(1889年)に、官設幌内鉄道の収支が悪化してその営業権を北海道炭礦鉄道が引き継ぐことになりましたが、それに伴って2両とも北海道炭礦鉄道に継承されて、いったん北海道炭礦鉄道7号、8号機関車となったあと、北海道炭礦鉄道で車両形式と車番を整理した際に同鉄道ロ形9号、10号機関車に改番されました。
(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P67より)