官設鉄道82号形蒸気機関車は、明治20年(1887年)から明治37年(1904年)にかけてイギリスのNasmyth Wilson(ナスミス・ウィルソン)社で78両が製造されて、官設鉄道(当時は内閣鉄道局)など多数の鉄道会社が輸入したタンク式の蒸気機関車です。明治期のタンク式機関車の標準形態となった軸配置「1B1形」の量産機でした。
「1B1形」の軸配置の機関車として試作的要素を持った明治19年(1886年)製造の69号形蒸気機関車(のちの鉄道院400形蒸気機関車)の運用成績が良かったことから、ダブス社、ナスミス・ウィルソン社、ヴァルカン・ファウンドリー社の3社に多数を発注して量産したものの一部です。そのため、製造会社が違うだけで90号形蒸気機関車などと設計は同じものでした。また、官設鉄道だけでなく、各地の私設鉄道も続々と輸入していきました。
官設鉄道が輸入したのはこのうち34両ですが、まず、明治20年に官設鉄道が7両を輸入して2両が西部地区、5両が東部地区に配置されました。東部地区の5両(109号~117号、奇数番号のみ)は数年後に日本鉄道に移ることになります。次いで明治21年(1888年)に9両が輸入され、西部地区に2両(86号、88号)、東部地区に7両(119号、121号、123号、137号、139号、141号、143号)が配置されました。東部地区に配置された車両のうち、139号は日本鉄道に、141号と143号は甲武鉄道に貸し出されました。1年おいて明治23年(1890年)に最終グループとなる18両が輸入されて157号~191号(奇数番号のみ)と附番されました。このうちの12両が日本鉄道に貸与され、6両が官設鉄道で使われました。これによって官設鉄道籍として輸入されたのは合計34両となりました。このうち最も若い番号で官設鉄道籍となったのが明治20年に西部地区に配置された82号機(82号、84号)でしたので、ここでは便宜上「82号形蒸気機関車」としています。のちの鉄道院600形蒸気機関車にあたる機関車です。
この「1B1形」の軸配置を持つタンク式蒸気機関車は、のちの鉄道院500形蒸気機関車、鉄道院700形蒸気機関車として輸入されたものも含めて合計数百両の大所帯となっていきます。
軸配置は先述したとおり「1B1形」。すなわち、まず先輪が1軸あって、2つの動輪が続き、最後に従輪が1軸ある形態です。動輪の大きさは直径1321ミリメートル、石炭積載量は1.14トン、水タンク容量は両側の合計3.86キロリットルでした。
官設鉄道活躍していた12両は、明治27年(1894年)に形式によって管理するようになった際にK形とされています。
日本鉄道時代の撮影(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P11より)
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