官設鉄道69号形蒸気機関車は、明治19年(1886年)にイギリスのNasmyth Wilson(ナスミス・ウィルソン)社で4両が製造されて、官設鉄道(当時は内閣鉄道局)が輸入したタンク式の蒸気機関車です。輸入後は、官設鉄道東部地区に配置されて69号から75号機関車(奇数番号のみ)となり、そのまま日本鉄道に貸し出されました。当時は車両形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「69号形蒸気機関車」としています。
それまでに輸入されたタンク式蒸気機関車は、蒸気鉄道開業時から使われている「1B形」と、主に建設用や勾配線用に使われた「C形」の2種類でした(ほかに、一時期「2B形」が存在しましたが、テンダ式機関車に改造されて、このころには消滅していました)が、本形式は新しい「1B1形」の軸配置を持つ機関車として設計されました。のちの鉄道院400形蒸気機関車にあたります。
この「1B1形」の軸配置を持つタンク式蒸気機関車は、明治期のタンク式機関車の標準形態となり、のちの鉄道院500形蒸気機関車、鉄道院600形蒸気機関車、鉄道院700形蒸気機関車として大量に輸入されて合計数百両の大所帯となっていきます。
軸配置は先述したとおり「1B1形」。すなわち、まず先輪が1軸あって、2つの動輪が続き、最後に従輪が1軸ある形態です。動輪の大きさは直径1321ミリメートル、石炭積載量は1.14トン、水タンク容量は両側の合計3.86キロリットルでした。
明治25年(1892年)に4両とも正式に日本鉄道に譲渡され、日本鉄道のW2/4形18号~21号機関車となりました。その後2両が官設鉄道に返却されて、官設鉄道J形166号、167号機となった可能性があります。その理由は、国鉄蒸気機関車小史(臼井,1956)では「日鉄ではこの機関車を一応、Nos.18~21に改称したらしいのですが,間もなく官鉄に返納されています.その頃の記録によりますと,作業局での種別はJクラスとなっていました.」としていることです。当サイトで各車の車歴データから復元している機関車配置表でも、たしかに明治27年改番後の配置表ではJ形が欠番となっていること、そして166号、167号の2両が見当たらないことが確認されています。一方、4両全車が返却されたとすると2両分の車番に空き番号が無いため無理があり、当サイトでは、返却されたのは2両と推測した次第です。その場合でも、具体的に日本鉄道のどの車番の機関車が返却されたのかは不明です。いずれにしても明治32年(1899年)に4両とも房総鉄道に譲渡されてしまいます。
この写真は69号形類似形式の明治20年82号形機関車(のちの鉄道院500形蒸気機関車)のものです。
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