官設鉄道59号形蒸気機関車は、明治18年(1885年)から明治21年(1888年)にかけてイギリスNasmyth Wilson(ナスミス・ウィルソン)社で8両が製造され、官設鉄道(当時は内閣鉄道局)と山陽鉄道が輸入したタンク式蒸気機関車です。官設鉄道は7両を輸入し、輸入後は59号機、77号機~87号機(奇数番号のみ)となしました。このうち官設鉄道には77号、79号、87号の3両が配置されたほか、日本鉄道に59号、81号、83号、85号の4両が貸し出されてそれぞれの鉄道路線の建設工事用に使われました。なお、この当時は車両形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「59号形蒸気機関車」としています。のちの鉄道院1100形蒸気機関車にあたる形式です。
一方、山陽鉄道が輸入したのは1両で同社の9号機関車となりましたが(山陽鉄道は同形車をほかに2両輸入しています。こちらは山陽鉄道7号形蒸気機関車をご覧ください。この2両も最終的には鉄道院に所属し、1100形蒸気機関車となります)、明治24年(1891年)に官設鉄道に譲渡されて、官設鉄道190号機関車となりました。日本鉄道に貸し出された4両のうち、83号だけは時期は不明ですが遅くとも明治25年(1892年)までには官設鉄道に返却されています。これにより、明治25年時点では官設鉄道に77号、79号、83号、87号、190号の5両が在籍していたことになります。
軸配置はC型。すなわち、先輪や従輪を持たず、3つの動輪のみを有する軸配置です。動輪の大きさは直径914ミリメートルで、当時のC形機の官設鉄道22号形機関車(のちの鉄道院1290形蒸気機関車)よりもさらに小さいものでした。石炭積載量は0.69トン、水タンク容量は2.05キロリットルです。
明治25年時点で官設鉄道にいた4両は、明治27年(1894年)に車両形式によって管理されるようになった際にI形という形式を与えられて、77号、79号、83号、87号、190号の順でI形55号、57号、60号、63号、124号に改番されました。また、日本鉄道にいた3両は、明治25年に正式に日本鉄道に譲渡されて、いったん日本鉄道の59号、81号、85号となったのち、明治27年に日本鉄道W3/3形の22号~24号となりました。
日本鉄道W3/3形時代(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P17より)
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