官設鉄道22号蒸気機関車は、明治6年(1873年)ごろにイギリスのManning Wardle(マニング・ワードル)社で2両が製造されて我が国に輸入されたタンク式蒸気機関車です。このとき、官設鉄道(明治6年当時は工部省鉄道寮)が輸入したのは1両のみでしたが、同形のもう1両が大蔵省造幣寮によって輸入されています。大蔵省造幣寮が輸入した理由や経緯は不明ですが、この大蔵省造幣寮の機関車は明治8年(1875年)には官設鉄道に移管されて、2両とも西部地区で新線建設に活躍しました。この時点では21号機関車と32号機関車となっていましたが、明治8年(1875年)に実施された東部地区も含めた官設鉄道全体での改番で、21号機関車は22号機関車に、32号機関車は24号機関車に改番されました。当時は車両形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「22号形蒸気機関車」としています。
新線建設用として使い勝手が良かったのか、しばらく間を置いた明治14年(1881年)に1両が関東地方の新線建設用として増備され、25号機関車となり、最終的に総勢3両となっています。のちの鉄道院1290形蒸気機関車にあたる機関車です。
軸配置は「C形」。すなわち先輪や従輪を持たず、動輪のみ3軸の軸配置です。第2動輪にはフランジがありませんでした。動輪の大きさは直径991ミリメートルで、同じ年に輸入された貨物用の官設鉄道17号機関車(のちの鉄道院7010形蒸気機関車)よりもかなり小さいものでした。燃料となる石炭の積載量は0.56トン、水タンク容量は1.84キロリットルです。
官設鉄道で使われた22号、24号の2両は、明治27年(1894年)に官設鉄道の機関車を形式で区分するようになった際にH形という形式が与えられ、H形22号、24号となりました。一方、関東地方に配置された25号は、輸入後すぐに日本鉄道に貸し出されて、日本鉄道の新線建設に活躍していましたが、明治25年(1892年)に正式に日本鉄道に譲渡されて、日本鉄道25号機関車としてしばらく使われたのち日本鉄道甲1号機関車に改番されました。
日本鉄道に貸与された25号機関車(善光号)
第2動輪にフランジが無いことが分かる。