官設鉄道27号改形蒸気機関車


概要

 官設鉄道27号改形蒸気機関車は、明治15年(1882年)にイギリスのBeyer Peacock(ベイヤー・ピーコック)社で2両が製造されて官設鉄道(当時は工部省鉄道局)が輸入した蒸気機関車です。輸入当初はタンク式の蒸気機関車で官設鉄道で27号機関車と29号機関車という車番が与えられて、日本鉄道に貸し出される計画でしたが重量(軸重)過多のためにその計画は見送られ官設鉄道で使われることになりました。といっても当時の官設鉄道東部地区(新橋-横浜間)では機関車は足りていたのでしょう、すぐに西部地区(大津-神戸間など)に送られました。このころは「車両形式」という概念が無かったようですので、ここでは便宜上「27号形蒸気機関車」としています。
 西部地区に送られた本形ですが、大きさや軸配置がタンク式よりもテンダ式機関車に適していたことや、西部地区の営業用として使うには長距離を走る必要があり、その点からもテンダ式機関車が必要とされていたのでしょう、明治17年(1884年)に神戸工場で両サイドの水タンクを撤去して炭水車を接続して2両ともテンダ式の機関車に改造されました。このとき追加された炭水車は国産のものでした。改造後も車番は変わらず27号と29号機関車でしたが、オリジナルのタンク式のころと区別するためにここでは「27号改形蒸気機関車」としました。

 軸配置はタンク式機関車のころと変わらず「2B形」。すなわち、最初に2軸ボギー式の先輪があって、その後ろに2つの動輪が配置された形態です。動輪の大きさは直径1372ミリメートルで、キットソン社製の42号形蒸気機関車(のちの鉄道院5130形蒸気機関車)よりはやや小さいサイズでした。炭水車を追加したことにより石炭積載量は1.52トン、水タンク容量5.43キロリットルとなりました。下に掲げたタンク式のころとテンダ式のころ(明治27年(1894年)に改番された後の28号機関車の写真です)の写真を見比べると分かるように、タンク式機関車のころにあった両サイドの大きな水タンクが撤去されて、代わりに動輪上部をカバーのように覆ったスプラッシャーが設けられています。この28号のスプラッシャーは第一、第二動輪部分が一体となった形状ですが、僚機である26号機関車のスプラッシャーは第一、第二動輪部分が独立した形状になっているという違いがありました(こちらは国鉄蒸気機関車小史(臼井,1956)の85ページに筑波鉄道4号機時代の26号機関車の写真が掲載されています。この写真は著作権の保護期間が終了していない可能性があるため、本ページへの掲載は見送っています)。

 明治27年(1894年)に車両形式が定められた際にS形という形式が与えられ、偶数番号の26号と28号に改番されています。のちの鉄道院5490形蒸気機関車となる機関車です。


輸入当初のタンク式機関車のころ


テンダ式機関車に改造後。明治27年~明治42年の間の撮影と思われます。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • 27号(改造)→S形26号→D3形26号→5490形5490号→成田鉄道10号→5490形5490号→廃車
  • 29号(改造)→S形28号→D3形28号→5490形5491号→筑波鉄道4号→廃車

参考文献
  • 臼井茂信(1956):国鉄蒸気機関車小史,鉄道図書刊行会,P.85.
  • 沖田祐作(2013):機関車表.
  • 日本国有鉄道工作局(1952):国鉄80年記念写真集 車両の80年,交通博物館,P.52.