キハ36900形ガソリン動車は、昭和8年(1933年)3月に36両が製造されたガソリンエンジン搭載の気動車です。それまでに試作されたキハニ5000形ガソリン動車やキハニ36450形ガソリン動車の運用結果から得られた課題をできるだけ解消する工夫を凝らした本格的なガソリン動車として設計されました。ほとんどの部品を国産とし、連結運転を考慮しない設計で台枠などの軽量化を図り、単行運転を基本とした出力100馬力のガソリンエンジンを搭載した機械式の気動車となりました。
「機械式」というのは、マニュアルミッションを搭載した車のように、クラッチペダルやギアレバーを運転士が操作して直接機械的に切り替えて変速していく方式のことで、前進が1速から4速、後進が1速となっていました。これは、後年の液体式変速機を使って、オートマチックミッションを搭載した車のように、自動的に変速していく方式とは根本的に異なる構造でした。機械式の変速機では2両以上の編成を組んだ場合に編成中の機関を一斉に制御する総括制御ができないため、事実上単行運転を行うか、2両編成を組んだ場合に2両目はトレーラーとするかという運用を迫られました。中には、2両目にも運転士が乗務し、タイフォンを使って変速のタイミングを合わせて運行する場合もあったようですが、例外的なものだったと思われます。
車体の全長は、約16.2メートル。車内は2扉セミクロスシートで、4人掛けのボックス席が車両中央部に10区画(中央の通路を挟んで両側に5区画ずつ)配置され、車端部はロングシートとなっていました。搭載するエンジンは国産のGMF13形という出力100馬力のガソリンエンジンです。台車はTR26形。定員は、座席定員62人、立席定員47人の109人でした。外国製のエンジンであればもっと出力が大きいものも存在したようですが、鉄道省は保守で有利となる国産エンジンの採用にこだわったのでした。
30000番代を名乗る本形式は、客車の形式体系の中に位置づけられたものでしたが、昭和8年度(1933年度)に気動車の形式体系が独立して設けられることになり、昭和8年12月以降に新製された車両はキハ41000形ガソリン動車を名乗ることとなり、本形式として製造された36両も全車がキハ41000形に改番されました。