京浜電気鉄道デ14形電車は、京浜急行電鉄の前身にあたる京浜電気鉄道が製造したボギー式電車です。当初はデ1形電車として明治38年(1905年)に2両(14号、15号)が天野工場で、次いで明治39年(1906年)に2両(16号、17号)が新製されました。この際の形態はデ1形電車と同じものでしたが、大正15年(1926年)にデ1形14号~17号車の4両がデ11形と同じ前面5枚窓で片側3扉の車体に更新された際に新形式デ14形となり、デ14形14号~17号とされたものです。デ11形とされなかったのは台車の違いと思われ、デ11形はペクハム14B3でしたが、デ14形はブリル27-MCB-2に変更されています。総勢4両。
形態はモニター屋根の木造ボギー式車体で、前面は半円形の形状をした5枚窓、乗降口は片側3ドアで外吊りドアが採用されました。台車はブリル27-MCB-2、電動機は50馬力(37キロワット)のものを4基搭載していました。直接制御方式ですので、単行運転が基本の運用形態でした。
昭和17年(1942年)、京浜電気鉄道が戦時合併により東京急行電鉄となった際は東京急行電鉄デハ5110形5111号~5114号となり、昭和20年(1945年)にデハ5114号が空襲によって焼失したため(廃車は京浜急行電鉄時代の昭和26年)、昭和23年(1948年)6月に東京急行電鉄が分割されて京浜急行電鉄が発足した際は実質3両が継承されました。当時(昭和22年に実施)は京浜急行では本線が1500ボルトに昇圧されていたため、デハ111形111号~113号として大師線専用車となりましたが、大師線が1500ボルトに昇圧された昭和26年(1951年)に3両とも廃車となりました。
その後、デハ111とデハ112の2両が昭和26年中に長岡鉄道(のちの越後交通長岡線)に売却されて車体を日本鉄道自動車工場社製の鋼製車体に更新したうえで同社のモハ3000形モハ3001とモハ3002となりました。この時点では制御方式が間接制御方式となっていました。その後の消息は不明ですが、越後交通長岡線は昭和50年(1975年)4月1日に旅客営業を廃止していることから、この時までには廃車されたものと思われます。
デハ113は昭和27年(1952年)に高松琴平電気鉄道に売却されて同社の20形(2代目)モハ21となって志度線・長尾線で活躍しました。(谷沢,1957)は「特異な形態より受ける感じはグロテスクなもの」としていますが、(宮崎,1966)に掲載されている写真を見るとスマートな流線形の車体のように見えます。昭和37年に20形(3代目)が出現した際に60形に編入されて66号となった後、昭和43年(1968年)に廃車されました(真鍋,1982)。
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