京浜電気鉄道デ1形電車は、京浜急行電鉄の前身にあたる京浜電気鉄道が製造した日本初のボギー式電車です。まず明治37年(1904年)に大塚工場で10両(1号~10号)を新製していますが、当初は明治36年(1903年)に設計されたものの初めてのボギー式電車だったためか行政当局(鉄道局)の認可を得るまでに1年程度かかったため、新製が明治37年にずれ込んだものです。さらに明治38年(1905年)に5両(11号~15号)が天野工場で新製、明治39年(1906年)に大塚工場で5両(16号~20号)、明治40年(1907年)に東京車輌で5両(21号~25号)が新製造されて総勢25両となりました。
形態はモニター屋根の木造ボギー式車体で、前面は半円形の形状をした3枚窓でした。モニター屋根の形状は2種類あったようです。台車は1号~15号と21号~25号がペクハム14B3、16号~20号がブリル27-GE-1。電動機は50馬力(37キロワット)のものを4基で、車内はセミクロスシートとなっていました。定員は座席56人、立席20人の合計76人でした。当時の二軸単車の定員が40人を少し超える程度だったことから、1両あたりの輸送力は倍増となり好評を博したとされています(吉川ほか,1970)。
明治39年(1906年)に車内をロングシート改造されています。
大正6年(1917年)にはデ18号とデ23号が衝突事故を起こしてデ18号がデ101形101号に改造されました。23号はそのまま復旧していますが、この際デ18号が欠番となったため、デ25号がデ18号(2代目)に改番されたと思われます。
また、大正13年(1924年)にデ11号~デ13号の3両が、前面5枚窓で片側3扉の車体に更新されて、デ11形11号~13号となりました。さらに大正14年(1925年)にはデ14号~デ17号の4両が同様の改造を受けてデ14形14号~17号となっています。
大正14年(1925年)に1号~10号の10両が海岸電気軌道に譲渡されて、同軌道の1号~10号車となりました。これにより、デ1形はデ18号~24号までの7両となったことから、デ18形18号~24号に改称されて京浜電気鉄道デ1形は形式消滅しました。
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