鉄道院デ963形電車

概要

 鉄道院デ963形電車は、中央本線の前身である甲武鉄道によって明治37年(1904年)と明治39年(1906年)に22両が製造された2軸の電車です。片運転台式の車両と両運転台式の車両がありましたが、いずれも三等車で甲武鉄道時代は「ハ」を名乗っていました。明治39年(1906年)に甲武鉄道が国有化された後も明治42年(1909年)に新宿電車庫で4両が製造され、総勢26両となりました。甲武鉄道の国有化後も甲武鉄道時代の車番のまま使われていましたが、明治43年(1910年)鉄道院院長達第149号に基づいてデ963形に改称されました(沢柳,2005)。のち、大正元年(1912年)12月には3両が半室を手荷物室に改造され、ニデ950形に編入されています。

 主要な装備は、台車がブリル21E、主電動機は明治37年(1904年)製造の車両がゼネラル・エレクトリック社製の53-A形で出力45馬力≒33キロワット、明治39年(1906年)以降に製造された車両はウェスチングハウス社製89形50馬力≒37キロワット、集電装置は全車がポールでした。屋根はモニター屋根。間接制御方式で、総括制御による連結運転が可能。明治後期に撮影されたとみられる絵葉書では「ニデ950形」+「デ989形」+「デ963形」の3両編成で運行中の写真が残されています。2軸の軸距離は10フィート(約3メートル)で、全長33フィート(約10メートル)でしたから、かなりオーバーハングの大きい車両でした。車内はロングシートです。
 明治37年(1904年)に製造された車両は全車が片運転台式として落成しましたが、明治39年(1906年)の増備車は両運転台式で落成しています(寺田,1955)。のち、片運転台式であった車両も全車が両運転台式に改造されました。

 明治42年(1909年)以降、ボギー式の電車の配備が進んでくると二軸車は次第に淘汰されることになり、明治45年(1912年)にはニデ950形に改造された車両のほかに10両が付随車化されて電装機器類は新製されるボギー車に転用されています(寺田,1955)。さらに、大正3年(1914年)から大正4年(1915年)にかけて残った電動車も電装解除のうえ、客車として信濃鉄道に10両、三河鉄道に7両、佐久鉄道に6両が譲渡され、形式消滅となりました。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • デ963→三河鉄道番号不明→廃車
  • デ964→信濃鉄道ハ3→廃車
  • デ965→佐久鉄道番号不明→廃車

参考文献
  • 沢柳健一(2005):院電単車が走って100年,鉄道ピクトリアル756,鉄道図書刊行会.
  • 寺田貞夫(1955):木製國電略史〔I〕,鉄道ピクトリアル,No.50.
  • 沢柳健一・高砂雍郎(2006):旧型国電車両台帳院電編,ジェー・アール・アール.