官設鉄道AO(エイオー:アルファベットです)形蒸気機関車は、明治30年(1897年)にアメリカのSchenectady(スケネクタディ)社で10両が製造され、官設鉄道が輸入したテンダ式蒸気機関車です。輸入後はAO形242号~251号機関車となりました。輸入当初は輸送量が増大しつつあった東海道線中部に集中配置され(臼井,1956)、専ら旅客列車牽引に用いられました。
なお、官設鉄道より先に九州鉄道が同形車12両を輸入していました(のち36両まで増備)。(臼井,1962)は、Schenectady社製の機関車はアメリカ製としては品質がおそらく最高であろうとしています。
軸配置は明治時代の旅客用テンダ式機関車としては一般的な「2B形」。すなわち、一番前に2軸ボギー式の先輪が置かれ、次いで2軸の動輪が配置された形態です。それまで主に輸入されていたイギリス製のテンダ式機関車が流麗な車体を持っていたのと異なり、ボイラ前面の円周上にボルトがむき出しで配置され、ボイラ前面中央に丸い車号表示板を有するアメリカ製のテンダ式機関車に共通する特徴を有していました。主要諸元は動輪直径は1372ミリメートル、シリンダ使用圧力11.2kg/cm2、石炭積載量3.05トン、水タンク容量9.6キロリットルです。
なお、同形の機関車を北海道炭礦鉄道も13両輸入しています。
明治31年(1898年)に鉄道作業局による改番が行われた際にD10形蒸気機関車となり、D10形242号~251号機関車となりました。明治37年(1904年)から始まった日露戦争に10両全車が徴用されて一時満州に渡って旧日本陸軍野戦鉄道提理部によって使われていた際、242号機が戦傷を受けて破損し現地で特別廃車されています。そのため、終戦後に官設鉄道に帰還した車両は243号~251号の9両でした。その後、明治42年(1909年)の鉄道院によって車両全体を抜本的に整理する改番が実施された際には九州鉄道や北海道炭礦鉄道で活躍していた同形機が国有化によって官設鉄道籍となっていたことから総勢58両の大所帯となっていましたが、その全車が鉄道院5700形蒸気機関車とされ、本形式を出自とする9両は九州鉄道、北海道炭礦鉄道出身の車両に先んじる番号の5700号~5708号機関車となりました。
北海道炭礦鉄道の同形車。(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P.56より)
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