日本国有鉄道サハ98形電車


概要

 日本国有鉄道(国鉄)サハ98電車は、昭和33年(1958年)から昭和34年(1959年)の間に52両が製造された全長20メートル級4扉ロングシートの通勤用全鋼製電車です。それまで国鉄で使われていた電車とは全く異なる設計思想の下で量産されたモハ90形電車のM車及びM’車の電装を省略した車両でした。
 モハ90形は、利用する乗客らにとってより印象的だったオレンジバーミリオンと言われる明るい塗装をまとって中央線快速に集中投入され、それまで通勤電車といえば茶色が当たり前だった中にあって、新しい電車だというイメージを強く印象付ける車両となりました。

 モハ90形は、まず、昭和32年に試作車1編成10両が製造され、全電動車の10両編編成(McM’MMc’McM’MM’MMc’)で各種試験が実施されました。そして昭和33年(1958年)からつくりを簡略化する方向に少し設計を変更した量産車の製造が始まり、中央線快速に集中的に投入されたのでした。しかし、投入が進んでくると10両全電動車の編成では変電所の容量が不足してきて、頻繁に変電所の遮断器が動作する(わかりやすく言えばブレーカーが落ちるということです)ようになったことから、2両の本形式を組み込んだ8M2T(McM’TT’MM’MMc’McMc’)の編成とされました。

 車内はモハ90形のM車、M’車に準じたもので、全幅1.3メートルの両開き扉が採用された4扉ロングシートとなり、混雑時の乗降時間の短縮を図っていました。

 本形式は、モハ90形同様ひとくくりに「サハ98形」とされていますが、その中にも運転台のないM車から電装を省略したT車(のちのサハ101形)、運転台のないM’車から電装を省略したT’車(のちのサハ100形)の2種類に分かれていて、番台区分と奇数偶数の違いで分類されていました。具体的には、T車は奇数号車、T’車が偶数号車とされていました。T車T’車とも、のちに容易に電装できるように準備がされており、T’車にはパンタグラフ設置用の台座も準備されていて、外観上の特徴となっていました。また、冷房は搭載していませんでした。

 昭和34年(1959年)に電車に関する車両称号規程の改正が実施されたことに伴って、T車26両がサハ101形、T’車26両がサハ100形にそれぞれ改称されました。

配置表


車両一覧

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参考文献
  • 鉄道ピクトリアル No.487,鉄道図書刊行会.