大阪鉄道A形蒸気機関車は、明治21年(1888年)から明治22年(1889年)にかけてイギリスのDubs(ダブス)社で5両が製造されて、大阪鉄道が輸入したタンク式の蒸気機関車です。明治期のタンク式機関車の標準形態となった軸配置「1B1形」の機関車でした。
大阪鉄道は現在のJR関西本線の前身にあたる会社で明治22年5月14日に湊町(現JR難波)-柏原間を開業させますが、それに先立って明治21年に本形式を3両(1号~3号)輸入しています。そして、おそらく開業に間に合わせる形で翌明治22年に2両(4号、5号)を増備して総勢5両となりました。
軸配置は先述したとおり「1B1形」。すなわち、まず先輪が1軸あって、2つの動輪が続き、最後に従輪が1軸ある形態です。動輪の大きさは直径1321ミリメートル、石炭積載量は1.14トン、水タンク容量は両側の合計3.86キロリットルでした。官設鉄道90形蒸気機関車と同じ設計の機関車です。
大阪鉄道は明治33年(1900年)に関西鉄道に吸収合併されます。それに伴って本形式5両は関西鉄道に引き継がれて関西鉄道池月II形52号~56号となりますが、関西鉄道もまた明治40年(1907年)に国有化されて官設鉄道に引き継がれることになります。官設鉄道では、設計の同じ官設鉄道90形蒸気機関車と同様に、鉄道院500形蒸気機関車とされ526号~530号となり、昭和14年ごろまでに5両とも廃車されました。
関西鉄道の同形車(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P11より)