鉄道省モハ1形電車は、大正3年(1914年)から大正15年(1926年)の間に鉄道院によって製造された3扉ロングシートの木造電車のうち、出力105馬力(≒77キロワット)級の主電動機を搭載した車両を昭和3年(1928年)に一つの形式にまとめたものです。68両が該当します。「鉄道省」としていますが、一部は日本国有鉄道(国鉄)に継承されました。
内訳は、デハ6340形電車(大正3年(1914年)~大正7年(1918年)製造)28両と、デハ33500形電車(大正11年(1922年)~大正15年(1926年)製造)39両、デハ33400形電車(大正10年(1921年)製造)1両となっています。デハ6340形はもともと東海道線用の2扉車でしたが、大正11年から大正14年にかけて3扉化されて山手線などに転じていました。デハ33400形とデハ33500形はデハ6340形の後継として当初から3扉仕様で東海道線向けに投入されたものでした。
いずれも主電動機はアメリカのゼネラル・エレトリック社製のGE244形出力70kW級(当時は105馬力とされました)のものが搭載され、トラス式台枠に片運転台と3扉モニター屋根の車体は国産で製造されていました。集電装置はパンタグラフで、運転台が設置された側に1基搭載されていました。
また、4両(モハ1065~1068)は、本形式となったことになってはいますが、実際は改番時期には荷物電車などへの改造工事中で、本形式の車号をつけることなくモユニ2形、モニ3形、モヤ4形として落成しています。そのため、実質的には総勢64両とするべきかもしれません。
本形式は主電動機出力が70~80kW級105馬力で、100kW級が一般的だった電動車群の中で少数勢力となっており、まとめて一つの形式に整理されたものです。そのためか、昭和6年(1931年)には早くも22両、昭和7年(1932年)に1両、昭和8年(1933年)にも9両が廃車されて一部三信電気鉄道(現在のJR飯田線の一部)に移った車両もありますが、その多くは解体されました。
2両が戦災廃車され、戦後まで車籍を保った車両は14両に過ぎませんでしたが、それらも昭和28年(1953年)までに廃車されて形式消滅しました。なお、車籍上は一部が改造名義で日本国有鉄道モハ70形電車やモハ41形電車となっていますが、いずれも書類上のみの扱いであり実車は解体されています。
昭和12年(1937年)に鉄道省を廃車されて三信電気鉄道に払い下げられていたモハ1035が、平成9年1997年に東海旅客鉄道(JR東海)の名古屋工場によって本形式時代の姿に復元されてリニア・鉄道館で静態保存されています。