官設鉄道デハ6340形制御電動車は、大正3年(1914年)から大正7年(1918年)の間に鉄道院によって24両が製造された東海道線用の2扉ロングシートの電車です。官設鉄道が鉄道院の時代から鉄道省の時代まで活躍した片運転台の木造電車でした。
東海道線は、大正3年(1914年)12月20日に東京-高島町間の電車線(現在のJR京浜東北線の一部)が開業しましたが、これに合わせて製造された木造電車です。主電動機はアメリカのゼネラル・エレトリック社製のGE244形出力70kW級(当時は105馬力とされました)のものが搭載され、トラス式台枠に二扉片運転台とモニター屋根の車体は国産で製造されていました。また、官設鉄道の電車として初めてパンタグラフを搭載した形式でもあります。パンタグラフは運転台が設置された側に1基搭載されていました。同じ設計のグループで東海道電車線向けに製造された形式としてデロハ6130形二三等合造電車、サロハ6190形二三等合造車(製造当初はクロハ6190形とされ、のちにサロハに改称)、クハ6420形制御車、デハユニ6450形郵便荷物合造電車があります。
しばらく東海道電車線で使用されていましたが、2扉の本形式では旅客の増加に対応しきれなくなったことや、主電動機出力が100kW級の車両が主力となりつつあったことなどから、大正11年(1922年)に車体中央に1100ミリ幅の扉を増設して3扉ロングシート車に改造のうえで山手線等に転用されました。さらに大正14年(1925年)にはデロハ6130形12両も3扉化のうえ全室三等車化改造されて本形式に編入されたため、最終的な両数は総勢36両となりました。
本形式は3両が関東大震災で被災して廃車されています。残った車両の多くは昭和3年(1928年)に鉄道省モハ1形電車に改称されましたが、一部はモユニ2形郵便荷物合造電車、デヤ33100形事業用電車、モニ3形荷物電車、デニ6450形荷物電車(さらにモニ3形荷物電車に改称)になった車両もありました。