水戸鉄道131号形蒸気機関車は、明治21年(1888年)にイギリスのDubs(ダブス)社で3両が製造されて、官設鉄道が輸入したタンク式の蒸気機関車です。輸入後すぐに水戸鉄道に貸し出され、水戸鉄道の建設と開業後の営業用機関車として活躍しました。官設鉄道では131号、133号、135号と附番され、水戸鉄道が借り入れたあとも官設鉄道の番号のままで使われました。当時はまだ官設鉄道も水戸鉄道も車両形式という概念を持っていなかったようですので、ここでは便宜的に「131号形蒸気機関車」としています。
明治中期のタンク式機関車の標準形態となった軸配置「1B1形」の量産機で、官設鉄道が90形蒸気機関車として30両を発注した車両群の中の3両で、のちに鉄道院500形蒸気機関車となる機関車です。
軸配置は「1B1形」。すなわち、まず先輪が1軸あって、2つの動輪が続き、最後に従輪が1軸ある形態です。動輪の大きさは直径1321ミリメートル、石炭積載量は1.14トン、水タンク容量は両側の合計3.86キロリットルでした。
水戸鉄道は明治25年(1892年)3月1日付けで日本鉄道に吸収合併されます。日本鉄道への合併後は官設鉄道から日本鉄道に貸与という形となっていましたが、1ヶ月後の明治25年4月1日に正式に日本鉄道に譲渡されていったん日本鉄道131号、133号、135号となりましたが、明治27年(1894年)に日本鉄道が車両形式を定めた際にD2/4形とされ、車番も37号~39号に改番されました。
その後、日本鉄道が国有化されたため官設鉄道籍となり、鉄道院500形蒸気機関車500号~502号となっています。
(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P11より)