阪堺鉄道芳野号蒸気機関車は、純粋な民間資本による日本で最初の私鉄とされる大阪の阪堺鉄道が明治18年(1885年)に工部省鉱山局から2両を購入した小型のタンク式の蒸気機関車です。もともとは工部省鉱山寮(当時)が明治13年(1880年)に釜石に開設した官設製鉄所に燃料や鉱石を搬入するために敷設された釜石鉱山鉄道で使われていた3両の機関車のうちの2両で、明治11年(1878年)にイギリスのSharp Stewart(シャープ・スチュワート)社で製造されたものです。阪堺鉄道では車番ではなく「芳野号」「和歌号」という和名が付けられました。
この釜石鉱山鉄道は軌間838ミリメートルの鉄道で明治16年(1883年)に全線が廃止されました。阪堺鉄道はこの鉄道で使われていたレールや機関車などの資材を買い取って自らの開業のための資材として使いました。そのため、阪堺鉄道も軌間838ミリメートルという特殊な軌間の鉄道として開業することになりました。
本機の形態はB形サドルタンク機関車で、全長5925ミリメートル、運転整備重量19.05トン、動輪直径762ミリメートル、石炭積載量0.48トン、水タンク容量1.8キロリットル、という諸元でした(臼井,1959)。この当時は形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「阪堺鉄道芳野形形蒸気機関車」としています。
阪堺鉄道は、明治31年(1898年)に南海鉄道に吸収されますが、それに先立って軌間838ミリメートルで敷設されていた難波-堺間の全線を軌間1067ミリメートルに改軌します。その際に本形の2両も1067ミリ軌間の機関車に改造されて南海鉄道に引き継がれました。南海鉄道では4形という形式が与えられましたが、しばらくの間は阪堺鉄道時代の「芳野号」「和歌号」とされていましたが、やがて和歌号が14号、芳野号が15号という数字の車番を与えられました。