官設鉄道61号形蒸気機関車は、明治18年(1885年)から輸入が始まったイギリスのDubs(ダブス)社製のタンク式蒸気機関車です。
まず明治18年に官設鉄道が8両を輸入し、奇数番号の4両(61号から67号)は信越線に、偶数番号の4両(70号から76号)は西部地区に配置されたと見られています(沖田,2013)。まだ車両形式という概念が無かったようですので、ここでは便宜的に「61号形蒸気機関車」としていますが、のちの鉄道院1850形蒸気機関車となる機関車たちです。
次に明治20年(1887年)に官設鉄道に12両が輸入されて78号と80号に2両が西部地区、89号~107号(奇数番号のみ)の10両が東部地区に配置され、うち6両が日本鉄道に貸し出されました。その後も日本鉄道や北海道鉄道も独自に輸入するなどして、明治36年(1903年)までに同形の機関車が各社合計で35両という勢力まで拡大していきます。
軸配置は「C形」。すなわち、動輪の前後に先輪や従輪が無く、3つの動輪のみが配置された形態です。ほぼ同じ形態で明治14年(1881年)に輸入されたKitson(キットソン社)製の54号形蒸気機関車(のちの鉄道院1800形蒸気機関車)と比べると、動輪の大きさは直径1219ミリメートルで、やや小さいサイズでしたが、石炭積載量1.53トン、水タンク容量4.5キロリットルは同じでした。
日本鉄道に貸し出された6両は明治25年(1892年)に正式に日本鉄道に譲渡され、いったん日本鉄道の89号~95号(奇数番号のみ)、105号、107号となったのち明治27年(1894年)にD3/3形25号~30号機関車となりました。一方、官設鉄道の14両は明治27年(1894年)に車両形式によって管理するようになった際にZ形という形式を与えられ、Z形43号~49号(奇数番号のみ)、51号~54号、56号、58号、69号~75号(奇数番号のみ)機関車に改番されました。
日本鉄道時代の撮影(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P26より)
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