官設鉄道138号形蒸気機関車は、明治22年(1889年)にイギリスのNasmyth Wilson(ナスミス・ウィルソン)社で6両が製造されて、官設鉄道(当時は内閣鉄道局)が輸入したテンダ式の蒸気機関車です。同時期に官設鉄道が輸入したキットソン社製の130号形蒸気機関車と基本的に同じ設計ですが、製造会社が異なっていました。輸入後は130号形蒸気機関車の続番として138号~148号機(偶数番号のみ)となり、すぐに全車が日本鉄道に貸し出されました。
軸配置は「1C形」。すなわち、まず先輪が1軸あって、3軸の動輪が配置された形態です。炭水車は2軸のものが使われていました。動輪の大きさは直径1143ミリメートル、シリンダ圧力11.2kg/cm2、石炭積載量は3.10トン、水タンク容量はサイドタンク分も合わせて9.08キロリットルでした。水タンク容量は官設鉄道130号形蒸気機関車(のちの鉄道院7450形蒸気機関車)と同じですが、外観上130号形の特徴であったサイドタンク下部の切り欠きが無く、スマートな印象の機関車でした。
日本鉄道では、官設鉄道から借入という形をとっていたこともあり、官設鉄道の車番である138号~148号機(偶数番号のみ)のままで使われていましたが、明治25年(1892年)に日本鉄道に譲渡されたあと明治27年(1894年)にWt3/4形とされ、車番も54号~59号に改番されました。
その直後には何両かが逆に官設鉄道に貸し出されて官設鉄道W形蒸気機関車として日本鉄道の車番のままで東海道線(現在のJR御殿場線の区間)で使用されており、一部は日本鉄道が国有化される明治39年(1906年)時点でも東海道線で使われていました(臼井,1956)。その間には日露戦争の勃発に伴って旧日本陸軍に徴用されて6両全車が満州に渡りましたが無事6両とも戦災に遭うことなく帰還しています。日本鉄道時代は東北線で使用されていました(臼井,1956)。
日本鉄道国有化後の明治42年(1909年)に鉄道院が実施した改番の際に鉄道院7600形蒸気機関車とされ、7600号~7605号機となりました。大正中期以降は直江津に転じ(臼井,1956)、大正11年(1922年)に6両が一斉に廃車されました。
(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P70より)
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