鉄道省オハ44400形客車は、昭和2年(1927年)から昭和3年(1928年)の間に304両が製造された全長17メートル級の鋼製客車です。現在の普通車にあたる三等客車で、鋼体化された車体を持つ客車として初めて量産された系列の主要形式です。
大正時代中期以降、鉄道の輸送量はどんどんと増えていました。その中で鉄道事故も増加しつつありましたが、何より問題だったのは、ひとたび鉄道事故が発生すると木造客車では木製の車体が衝突時の衝撃や隣接する車両の台枠(木造客車であっても台枠は鋼製でした)が木製の車体を裂いて薙ぎ払うように破壊し「粉砕」と表現されるほどの被害をもたらすことで、多くの死傷者が生じるという点でした。車体が鋼製であれば、この被害は少なくて済むと考えられ、当時の官設鉄道である鉄道省は旅客用車両(客車だけでなく電車も)を鋼製化することを決断します。鋼製化といっても全鋼製ではなく、車体の柱と外板を鋼製とした「半鋼製」の形態でしたが、それでも事故時の被害軽減という目的は達成することができたのです。客車においてその方針が採用されたのがオハ44400形を中心とした17メートル級鋼製客車のグループです。のちにオハ31系と呼ばれるようになるグループにあたります。
オハ44400形客車は、その中の基本形式である三等客車として大量生産されました。
まず、昭和2年3月に試作車として2両が日本車両製造と川崎造船所で1両ずつ製造されてオハ44000とオハ44001となりました。そして、昭和2年8月から昭和3年1月の間に302両が一気に量産され、オハ44002~オハ44703となりました。
諸元は、鋼製車体である点を除きナハ24400形(のちのナハ22000形)の最終グループとほぼ同じです。台枠は魚腹形の17メートル級車体で、車内は2扉クロスシートで窓配置は均等ではなく、ボックスシート2つ分に3つの窓が割り当てられていました。すなわち、片側16個の窓のうち車端部の洗面所部分に設けられた1つを除く15個の窓が3つごとのグループとなり、各グループの間の間隔がやや広い配置となっていました。屋根はモニター屋根です。この外観は、大正9年(1920年)から製造されていた木造客車のナハ24400形とそっくりで、これをそのまま鋼製化したもの(三橋ほか,2004)と考えて差し支えありません。台車はTR11です。本形式ではブレーキ装置はまだ空気式のものが開発されておらず、304両全車が木造客車と同じ真空式とされました。また、オハ44602~オハ44703の22両は自動連結器の緩衝装置が従来の引っ張りバネ式から丙種引張摩擦装置付きのものに変更されています。
昭和3年10月1日に鉄道省の車両称号規程が改正されて新形式となったため、本形式としての存在期間は1年半程度でした。新しい形式はオハ32000形で、304両全車がオハ32000形客車に変更されてオハ32000~オハ32303となりました。
(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P182より)
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