キハ45000形ディーゼル動車は、昭和28年(1953年)から昭和32年(1957年)の間に402両が製造された動力伝達機構を液体式とした気動車です。動力伝達機構は、単行運転を主体とした時代の機械式(自動車でいうマニュアル車と同じくクラッチと変速ギアを使って人為的に変速していく機構)から、昭和27年(1952年)にはキハ44000形による電気式に発展してきていましたが、電気式では出力に対して重量がかさむ点が欠点でした。一方、トルクコンバータ(自動車でいうオートマチックトランスミッション)を用いた液体式機構の開発が進んできたことから、液体式気動車の試作形式としてキハ44500形(のちのキハ15形ディーゼル動車)が製造され、電気式のキハ44000形と比較評価されました。
この時すでに、のちの液体変速機の標準形式となるTC-2形液体変速機がキハ44500形に搭載されていたことからも分かるように、比較結果は非常に良好で、キハ44500形の量産バージョンとして大量に製造されたのが本形式を代表形式とする、のちのいわゆるキハ17系です。
車体の諸元は、全長20.0メートル。エンジンは永く国鉄の標準型ディーゼル機関となったDMH17系列(エンジン形式の17は、本形式がのちに名乗るキハ17形の番号と同じですが、これはエンジンの排気量が17リットルであることを表す数字で、形式番号と同じなのは偶然です。なお、この時点では「キハ17」という形式はもちろん存在していません。)。前面形状はそれまでの湘南形の非貫通2枚窓から貫通路付の3枚窓の、昭和を通じて永く親しまれた形状とされました。また、全車が上部に小窓をもついわゆる「バス窓」で落成しています。搭載するエンジンはDMH17B形ディーゼルエンジン(出力160馬力)。台車はDT19形とTR49形です。片運転台便所付き。車体幅は2.7メートルで、のちのキハ20形ディーゼル動車やキハ55形ディーゼル動車よりも狭く、キハ20系などに挟まれると凸凹な編成になっていました。
本形式は、昭和32年(1957年)4月1日に施行された車両称号規程の改正に伴って全車がキハ17形ディーゼル動車に改称されました。