京浜電気鉄道9号形電車は、京浜急行電鉄の前身にあたる大師電気鉄道が明治32年(1899年)の開業直後に2両(3号車、4号車)を増備した電車です。
大師電気鉄道は、川崎-大師間1.1マイル(約1.8キロメートル)の区間を結ぶ短い鉄道でしたが、京都、名古屋に次ぐ日本で3番目となる電気鉄道として開業しました。官設鉄道などが採用した1067ミリメートル軌間ではなく、当時としては珍しい1435ミリメートルの標準軌を採用していました。
製造所は月島車輌で、並等車として2両が製造されました(吉川ほか,1970)。大師電気鉄道は、明治32年4月25日に京浜電気鉄道に社名を変更していますので、京浜電気鉄道3号形(初代)となっていました。なお、明治32年5月に新製された4号車は当初から京浜電気鉄道の車両として落成しました。
誕生翌年には上等、並等の2クラス営業とするため新しく6両の電車が製造されて1号車(2代目)~6号車となったことに伴って、車体を松井工場製の上等・並等合造のものに乗せ換え、合わせて車番も9号車と10号車に変更したのが本形式です。当時の車両形式が不明のため、ここでは便宜的に「9号形電車」としています。
形態は2軸単車で、使用電圧は直流500ボルト。台車はペクハム7B、電動機は芝浦製作所の25馬力(約18.5キロワット)のものを2基搭載していました(吉川ほか,1970)。軌間は1435ミリメートルですが、外観は当時のオーソドックスな二軸路面電車の形態(二重屋根、オープンデッキ)をしていました。
明治38年(1905年)には上等の営業が廃止されたため、車内を並等のみ変更する改造が施されています。その状態でしばらく使われましたが、大正14年(1925年)に9号車が、大正15年(1926年)に10号車が廃車されて形式消滅しました(吉川ほか,1970)。なお、9号車は海岸電気軌道に譲渡されて(吉川,1968)、おそらく同軌道5号車となっていますが、昭和8年(1933年)ごろに廃車されました。
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