山陽鉄道1形蒸気機関車は、明治21年(1888年)から明治24年(1891年)の間にイギリスのVulcan Foundry(ヴァルカン・ファウンドリー)社で8両が製造されて、山陽鉄道が輸入したタンク式の蒸気機関車です。明治期のタンク式機関車の標準形態となった軸配置「1B1形」の機関車でした。明治21年に輸入された6両は山陽鉄道1号~6号機関車となったとみられ、明治24年に輸入された2両は山陽鉄道24号と27号になったとみらています。というのも、山陽鉄道では車番を頻繁に入れ替えていて、どの機関車がどの番号へ変遷したのかを正確に追える資料に到達できていないからです。輸入時点では山陽鉄道に車両形式という考え方は無かったようですが、のちに「山陽鉄道1形蒸気機関車」となっています。本サイトにおける「山陽鉄道1形蒸気機関車」の車番の変遷には推測を含んでいますのでご注意ください。
軸配置は先述したとおり明治期のタンク式機関車の標準形態である「1B1形」です。すなわち、まず先輪が1軸あって、2つの動輪が続き、最後に従輪が1軸ある形態です。動輪の大きさは直径1321ミリメートル、石炭積載量は1.14トン、水タンク容量は両側の合計3.86キロリットルでした。大阪鉄道も同形の機関車を輸入しており、それらは国有化されてのちの鉄道院700形蒸気機関車となりました。
山陽鉄道で活躍した期間はまちまちで、まず9両のうち5号機関車が明治23年(1890年)に官設鉄道に譲渡されて官設鉄道193号機関車となりました。翌明治24年(1891年)には2号、4号の2両が筑豊興業鉄道に譲渡されて同鉄道の6号と5号になりました。このあと、他社への譲渡で空き番となった番号を埋める形で27号が4号(2代目)に、24号が7号(2代目)に(7号(初代)は別の形式の機関車でやはり譲渡で空き番となっていました)改番されています。明治35年(1900年)には1号が南海鉄道に移って南海鉄道7形13号機関車となります。結果として残った3号、4号、6号、7号の4両が山陽鉄道の国有化によって官設鉄道籍となります。先に官設鉄道に移っていた旧5号(官設鉄道193号→M形125号→A8形125号)と合わせて鉄道院700形蒸気機関車となりました。また、筑豊興業鉄道に移った2両も九州鉄道を経て国有化されていて、こちらも鉄道院700形700号と715号になっています。すなわち、輸入された8両中、南海鉄道に移った1両を除く7両が鉄道院700形となったわけです。
ナスミス・ウィルソン製の同形車(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P11より)
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