三吉商会無番号電車


概要

 三吉商会無番号電車は、三吉正一氏が興した電灯付属器具等の製造を行う三吉電機工場によって、明治23年(1890年)4月に上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で「電車」を紹介するためにアメリカのスプレーグ社から持ち込まれた2両の電車のうちの1両で、日本初の電車とされている車両です。
 明治30年代に入って全国に広がる路面鉄道で用いられたオープンデッキ、二重屋根、二軸単車の電車を一回り小さくしたような外観でした。

 主要諸元としては、2軸単車で使用電圧は直流500ボルト。台車はブリル21C、電動機はスプレーグ社の15馬力(約11キロワット)を1基だけ搭載していました(寺島,1967)。軌間は1435ミリメートルですが、全幅は2000ミリメートルしかありませんでした。

 本車は、鉄道会社の営業用として使われることは無く三吉電機工場が所有していたと思われますが、は明治31年(1898年)9月に三吉商会に商号変更した後、明治32年(1899年)に大師電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)が開業に間に合わせる際に5号(初代)電車として借入れたことで実際の鉄道事業に用いられるようになりました。同時に輸入されたもう1両の消息は不明です。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • 三吉商会無番号→京浜電気鉄道5号(初代)→京浜電気鉄道13号(初代)→京浜電気鉄道21号→廃車(返却)

参考文献
  • 寺島京一(1967):黎明期の京浜電車,鉄道ファン,No.67,1967年1月,交友社,PP.54-57.
  • 吉川文夫・永田義美・川喜田泉(1970):私鉄車両めぐり(85)京浜急行電鉄,鉄道ピクトリアル,No.243,1970年10月増刊,鉄道図書刊行会,PP.68-89.