官設鉄道154号形蒸気機関車は、明治23年(1890年)~明治24年(1891年)の間にイギリスのDubs(ダブス)社で12両が製造されて、官設鉄道(当時は内務省鉄道庁)が輸入したタンク式の蒸気機関車です。のちに明治時代後期から大正時代のタンク式機関車の最大勢力を誇るようになるいわゆる「B6」のうちの最初に輸入されたグループにあたります。輸入後は官設鉄道の154号機~176号機(偶数番号のみ)となりましたが、166号機~176号機の6両は日本鉄道に貸し出す形で配置されています。この当時はまだ車両形式による分類・管理が行われていなかったため、ここでは便宜的に「154号形蒸気機関車」としています。
明治時代中期としてはかなり強い牽引力を持った機関車で、水タンク容量も大きく、明治22年以降急速に鉄道路線が拡張してきて将来の輸送力の増大が容易に予想されていたことが導入の背景にあったと思われます。なお、かなり後になりますが、関西鉄道も同形機を5両輸入しています。
軸配置は「C1形」。すなわち、先輪が無く、動輪が3軸あって、最後に従輪が1軸配置された形態です。動輪の大きさは直径1219ミリメートル、シリンダ圧力11.3kg/cm2、石炭積載量は1.9トン、水タンク容量は7.8キロリットル。牽引重量は10‰勾配で315トン、25‰勾配で155トンでした(金田,1967)。
日本鉄道に配置された6両は、のちに正式に日本鉄道に所有権が譲渡されて日本鉄道D3/4形となり、車番も60号~65号機に改番されました。官設鉄道の6両も明治27年(1894年)に車両形式で管理するようになった際にAC形という形式を与えられて105号機、107号機~111号機(連番)に改番されたのち、明治31年(1898年)にB6形の一部となりました。
日本鉄道の6両は明治39年(1906年)に国有化によって官設鉄道籍にもどり、結局12両揃って鉄道院2100形蒸気機関車となっています。
官設鉄道107号時代の2101号機関車(国鉄80年記念写真集、車両の80年 P30より)
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