モハ70形電車は、昭和26年(1951年)から昭和33年(1958年)の間に141両が製造された全長20メートル級3扉セミクロスシートの鋼製電車です。
いわゆる「湘南電車」と呼ばれるようになったモハ80系の中間電動車の内装を3扉セミクロスシートとしたものです。モハ80形は2扉クロスシートの系列で主に長距離幹線を運行される列車での運用に適していましたが、都市圏近郊の路線は相対的に混雑度が高いため、3扉セミクロスシートとして混雑への対応を図ることを念頭に設計されました。また、それまで、都市圏近郊路線の電車列車は短い編成で運用されることがあたりまえであったため、電動車には運転台を併設した制御電動車(いわゆる「クモハ」)として製造されていたところを、モハ70系でも長い編成で運用することを前提としたモハ80系の設計思想を継承したため、制御車はモータを持たないトレーラー(いわゆる「クハ」)として、電動車は運転台を設置しない中間電動車として設計されました。本形式はその設計思想に基づいて製造された中間電動車にあたります。
製造は、大きく2つのグループに分けられます。1つは昭和26年(1951年)から昭和32年(1957年)の間に121両が製造されたオリジナルのグループで、さらに、昭和27年(1952年)に木造電車の鋼体化改造の名目で半鋼製車体を持つ800番代の4両が改造(実質的には新製)により誕生しています。横須賀線と東海道・山陽本線の大阪近郊区間に集中的に新製投入されました。
もう1つは昭和32年(1957年)から昭和33年(1958年)に20両が製造された全金属製車体を持つ300番代のグループです。それ以降は、新性能電車の急行形153系電車や近郊形111系電車に製造が引き継がれることとなりました。
本形式はモーターが台車枠と車軸にまたがるように架設されていた吊掛式電車です。主電動機は出力142kWのMT40AまたはMT40B形、パンタグラフはPS13形式でした。定員は136人で、うち座席定員は72人。車体は3扉ですが片引き戸で出入口幅1100ミリメートル、通風器はグローブ形のものを6基搭載していました。