京浜電気鉄道1号形(2代目)電車


概要

 京浜電気鉄道1号形(2代目)電車は、京浜急行電鉄の前身にあたる京浜電気鉄道が川崎-大師間の列車増発用として明治33年(1900年)11月に松井工場で6両を新製した二軸単車の電車です。京浜電気鉄道は、京都、名古屋に次ぐ日本で3番目となる電気鉄道として開業しましたが、官設鉄道などが採用した1067ミリメートル軌間ではなく、当時としては珍しい1435ミリメートルの標準軌を採用していました。
 京浜電気鉄道は、前身の大師電気鉄道から引き継いだ3両を含めて4両の電車(1号~4号。いずれも初代)を保有していましたが、この増備車6両は新たに電気制動を装備したことや、車体を上等・並等合造のものに変更したことなどから新たに1号から車番を振り直す形で1号~6号(1号~4号はいずれも2代目)とされました。当時の車両形式が不明のため、ここでは便宜的に「1号形(2代目)電車」としています。旧1号~旧4号の4両も車体を同じものに乗せ換えて7号~10号に改番されました。

 主要諸元としては、2軸単車で使用電圧は直流500ボルト。台車はブリル21E、電動機はウェスチングハウス社のWH-12A形30馬力(約22キロワット)を2基搭載していました(吉川ほか,1970)。軌間は1435ミリメートルですが、外観は当時のオーソドックスな二軸路面電車の形態(二重屋根、オープンデッキ)をしていました。

 明治38年(1905年)には上等の営業が廃止されたため、車内を並等のみ変更する改造が施されています。
 また、明治38年8月には3号車がボギー車のデ3号車と衝突事故を起こし、廃車となりました。残る5両は大正14年(1925年)に1号、2号、6号車の3両が海岸電気軌道に譲渡され、大正15年(1926年)に4号、5号車が廃車されて形式消滅しました(吉川ほか,1970)。なお、7号車は海岸電気軌道に譲渡されて(吉川,1968)、おそらく同軌道1号~3号車となっていますが、1号は昭和5年(1930年)に、3号が昭和6年(1931年)に、6号も昭和8年(1933年)ごろに廃車されました。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • 京浜電気鉄道1号(2代目)→海岸電気軌道1号→廃車
  • 京浜電気鉄道2号(2代目)→海岸電気軌道2号→廃車
  • 京浜電気鉄道3号(2代目)→廃車
  • 京浜電気鉄道4号(2代目)→廃車
  • 京浜電気鉄道5号(2代目)→廃車
  • 京浜電気鉄道6号→海岸電気軌道3号→廃車

参考文献
  • 寺島京一(1967):黎明期の京浜電車,鉄道ファン,No.67,1967年1月,交友社,PP.54-57.
  • 吉川文夫(1968):失われた鉄道・軌道を訪ねて〔20〕鶴見臨港鉄道・軌道線,鉄道ピクトリアル,No.205,1968年1月,鉄道図書刊行会,PP.27-30.
  • 吉川文夫・永田義美・川喜田泉(1970):私鉄車両めぐり(85)京浜急行電鉄,鉄道ピクトリアル,No.243,1970年10月増刊,鉄道図書刊行会,PP.68-89.