鉄道院ホデ6110形電車

概要

 鉄道院ホデ6110形電車は、明治44年(1911年)から大正2年(1913年)の間に29両が製造された鉄道院のボギー式木造電車です。製造年次によって前面形状が大きく異なるのが特徴で、明治44年に製造された最初の20両は半円形非貫通式で5枚窓、明治45年(1912年)に製造された3両がそれまでと同じ半円形ですが貫通式となって5枚窓、大正2年に製造された残る6両が折妻形に変更され貫通式の3枚窓となっていました。車内は3扉ロングシート、両運転台です。半円形の前面形状を持つ23両では、運転台と客室は隔てられていませんでしたが、折妻形となったホデ6133以降では運転室が設けられていました。

 主要な装備は、台車が軸箱(車輪の輪軸を受け止める部分)の下側に軸ばねを有する珍しい形態のもので、「ボギー車では唯一といわれる」(寺田,1955)ものでした。鉄道ピクトリアル52号の39ページ図8の写真でこの台車の形態が見て取れます。しかし、この台車はのちに明治43年式の釣り合い梁式の台車に変更されたということです(寺田,1955)。主電動機はドイツ・シーメンス社製のD-58W/D形50馬力≒37キロワットのものを搭載した車両と、デ963形などの2軸電車の電動機アメリカ・ジェネラルエレクトリック社製の45馬力≒33キロワットのものを流用して搭載した車両がありました。集電装置はポールで、連結器はバッファ式です。屋根はモニター屋根。直接制御方式であったため、単行運転が基本で総括制御による連結運転はできませんでした。

 大正2年(1913年) 4月22日に車両称号規程が改正されたことに伴って、同日付で29両全車がナデ6100形に改称されました。なお、ナデ6100形に改称後に6両が増備されています。

車両一覧

 車号をクリックすると各車の車歴を確認できます。

  • ホデ6110→ナデ6110→デハ6260→廃車
  • ホデ6111→ナデ6111→デハ6261→廃車
  • ホデ6112→ナデ6112→デハ6262→目黒蒲田電鉄デハ22→東京横浜電鉄デハ22→東京横浜電鉄モハ156→東京急行電鉄デハ3306→京福電気鉄道モハ284→廃車
  • ホデ6113→ナデ6113→デハ6263→目黒蒲田電鉄デハ23→東京横浜電鉄デハ23→東京横浜電鉄モハ157→東京急行電鉄デハ3307→京福電気鉄道モハ281→廃車
  • ホデ6114→ナデ6114→デハ6264→目黒蒲田電鉄デハ24→東京横浜電鉄デハ24→東京横浜電鉄モハ158→東京急行電鉄デハ3308→京福電気鉄道モハ282→廃車
  • ホデ6115→ナデ6115→デハ6265→廃車
  • ホデ6116→ナデ6116→デハ6266→廃車
  • ホデ6117→ナデ6117→デハ6267→廃車
  • ホデ6118→ナデ6118→デハ6268→廃車
  • ホデ6119→ナデ6119→デハ6269→目黒蒲田電鉄デハ31→駿豆鉄道デハ31→廃車
  • ホデ6120→ナデ6120→デハ6270→目黒蒲田電鉄デハ32→東京横浜電鉄デハ32→目黒蒲田電鉄モハ32→駿豆鉄道デハ32→廃車
  • ホデ6121→ナデ6121→デハ6271→目黒蒲田電鉄デハ33→東京横浜電鉄デハ33→駿豆鉄道デハ33→駿豆鉄道デハ33→廃車
  • ホデ6122→ナデ6122→デハ6272→目黒蒲田電鉄デハ34→東京横浜電鉄デハ34→駿豆鉄道デハ34→伊豆箱根鉄道モハ34→廃車
  • ホデ6123→ナデ6123→デハ6273→目黒蒲田電鉄デハ35→東京横浜電鉄デハ35→目黒蒲田電鉄モハ35→鶴見臨港鉄道モハ201→官設鉄道モハ141→日立鉄道クハ141→廃車

参考文献
  • 寺田貞夫(1955):木製國電略史〔Ⅱ〕,鉄道ピクトリアル,No.52.
  • 沢柳健一・高砂雍郎(2006):旧型国電車両台帳院電編,ジェー・アール・アール.